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多良間の八月踊りは「八月御願(ハチガツウガン)」ともよばれ、
旧暦の8月8日・9日・10日に仲筋字の土原御願(ンタバルウガン)と
塩川字のピトゥマタ御願の2カ所で行われます
8日は仲筋字の正日(ショーニチ)、9日は塩川字の正日、10日は両字のワカレです
起源は、江戸時代に始まった人頭税への「皆納祝い」だそうです
今年も期限の七月末までに税を納めきることが出来た歓びと、
来年も豊かな実りがありますようにと願ったようです
今でも8日正日の朝、6カ所ある各御嶽(ウタキ)で五穀豊穣感謝と祈願が行われます
また琉球は中国(清)への朝貢貿易もしていて
清からの使節「冊封使(さっぽうし)」を迎える為に武士は舞踊・音曲に力を入れ、
組踊りも生まれました
組踊りの台本は那覇の言葉・首里口(シュイクチ)で書かれました
明治6年には廃藩置県と地租改正がヤマトでは行われましたが、
沖縄県の誕生はその6年後
人頭税の廃止は30年後で、日清戦争の後でした。
沖縄県になったときに、侍は職を失いました
明治20年代には元侍たちが組踊りや古典踊り(若衆踊り、女踊り)を皆納祝いに入れ、
現在の演目(獅子舞、総引き、棒踊り、若衆踊り、女踊り、二才踊り、狂言、組踊り)が
そろってきたようです
ですから組踊りなどは正人(15歳以上の)男子士族(元武士)が演じていました
今では人口の減少から、性別年齢を問わずに参加できるようになってきています
八月踊りの組織は仲筋、塩川それぞれの字にあります
中老座を中心に、経理の幹人座、囃子の地謡(ズーニン)座、道具衣装の支度(スタフ)座、
組踊りの組座、若衆・女踊りの羽踊(ハオドリ)座、仲筋だけですが二才踊りの笠座、
獅子・棒の獅子座、そして狂言座があります
舞台の後ろに作られた高台上に地謡座がいます
出演者は縦6メートル横4.5メートルの舞台の左手から登場します
組踊りなどの足の運びは舞台の大きさに合わせた独特なものです
今では舞台上にコンクリートの屋根が付きましたが、以前はパラシュートなどの布を張り、
木漏れ日の下で上演されていました
観客は舞台を取り巻くように作られた平らな客席に腰を下ろして、
昼になればお重を囲んで食べながら、一日中踊りや劇を観て、
だれそれのあの役は最高(ズミ)といいながら楽しみます
朝は案外遅いのですが、早い時間からふれの三味線が鳴っています
最初と最後に出てくるユーモラスな獅子は仲筋が雌、塩川が雄といわれています
朝の総引きはこれからこんなのをやりますという紹介で、次々と回っていきます
棒には「ニーニン棒」と「トゥ棒」があり、観ているだけで思わず力が入ります
ここで仲筋は「福禄寿」、塩川は「長寿の大王」で長生きを祝います
古典踊り(若衆踊り・女踊り)の中には他所では演じられなくなったものも残っています
二才踊りは、笠を持ったりしてサーサーとかユイと言いながらとてもシンプルに踊ります
狂言は多良間の言葉・多良間口(タラマフツ)の劇や、舞踊をします
若衆踊りから狂言までを3度繰り返して組踊りに入ります
組踊りには仲筋に「忠臣仲宗根豊見親組(ちゅうしんなかそねとぅゆめぇ)」と
「忠孝婦人村原組(ちゅうこうふじんむらばるぐみ)」の2番があり、
塩川には「忠臣身替」と「多田名組」の2番があります
ワカレの日の再演まで観れば3日間で一挙に6番も堪能できるのです
1番目の組踊りの後、はじめと同じように古典踊り、二才踊り、狂言のセットを
3回繰り返してから2番目の組踊りになります
夕方の総引きは楽しんでいただけましたかという挨拶で、みんな酔ったような足取りです
みんなが盛り上がったところで終わりになります
また一つ年を取らないと観られません、楽しみにして長生きしましょうね
出典
多良間村史第五巻資料編4 芸能 多良間村教育委員会
わたしたちの多良間村(小学校副読本) 多良間村教育委員会
宮古古典民謡 工工四 真栄里猛編
その他歴史年表や村の人々の話と私の実体験
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